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東京家庭裁判所 昭和39年(少)3146号 決定

少年 Y・N(昭二二・七・八生)

主文

少年を東京保護観察所の保護観察に付する。

理由

(はしがき)

本件は、その非行面(書籍の窃取と六件の連続強盗・同未遂事件)においても三名集団で行われ、又その三名の少年達の生育歴や資質・環境等の面においても甚だ共通したものがある。したがつて、本件に対する調査・審判についても、少年処遇の個別性と共にその集団的把握や処理にも配慮をしたが、この決定書においても、その理由書の部分は三名共通とし、一括して決定理由を述べることとする。

(非行事実)

少年達(Y・N、Y・H、A・Aの三名の少年をいう。以下同じ)は、いずれも○○大学第○高等学校の一年生で親しい友人同士であつたが、

一  雑誌「メンズクラブ」の記事等の影響により、書籍をくりぬいて小物入れとし、これを携帯すること又はこれを他に売却することを思い立ち、そのため○○○○文化センターより書籍を窃取しようと企て、

(1)  三名共謀のうえ、昭和三九年一月○○日午後四時頃都内港区○○公園○○号地所在の東京○○○○文化センター図書室において、A・Aが見張役をつとめ、Y・N、Y・Hの両名が同所より同センター館長レ○ンピ○○ン管理の洋書「判例国際法」等書籍二冊(計六、五〇〇円相当)を窃取し、

(2)  同じく三名共謀のうえ、同月△△日午後四時頃上記センター図書室より、三名が実行を分担して上記館長レ○ンピ○○ン管理にかかる洋書「人民による政治」等書籍七冊(計一六、二〇〇円相当)を窃取し、

(3)  更にY・N及びY・Hの両名共謀のうえ、同年二月○日午前一一時三〇分頃上記センター図書館より、二名が実行を分担して上記館長レ○ンピ○○ン管理にかかる洋書「司法制度論」等書籍一〇冊(計二四、五〇〇円相当)を窃取し(なおこの件について、検察官はA・A少年も共謀による共同正犯の責任を負うとしているが、これを認めるに足る証拠が乏しいので、同少年についてはこれを認定しない)。

二  同年二月○日、三人は学校を早退し、Y・H少年所有の軽四輪乗用車(マツダキャロル)にて新宿区○○町のY・N少年宅に赴き、同所でキャッチボールをしたりレコードを聴いたりして遊んでいたが、このうちY・N少年所有の玩具ピストル一挺(証三号)を持ち出して交互に鳴らしてみたり又睡眠薬を服用したりしているうち「もつと玉を買つて外でやろう」ということになつた。そこで同日午後四時過頃、一同上記乗用車に同乗し、近所で玉を買つてから、明治神宮外苑に赴き、同所で車を走らせながら威勢よく鳴らしているうち、Y・H少年が「これで人を脅かして金でも取ろうか」と言い出したところ、他の二名も直ちにこれに賛成し、ここに容易に強盗の共謀が成立した。それから、更に用意を整えるため、先ず赤坂のY・H少年宅に赴いて同少年所有の刃渡り約一四糎アクアラング用のナイフ一丁(証一号)及び玩具ピストル一挺(証二号)を車に入れ、次いでその頃観たテレビ映画より思いつき覆面に用いるため洋品店に寄つて婦人用ナイロンストッキング一足(証六号)を買い求め、なお車中で睡眠薬を服用し、ここに一種の異常心理の下に、先ずA・A少年の指示する第一現場に向かい、以後約三時間半の間に連続六件の強盗・同未遂事件を犯したもので、犯行に際しては、A・A少年はすべて車中に残つて見張役を担当し、Y・N、Y・Hの両少年がおおむね実行行為を行つたものであつて、この詳細は次のとおりである。

(1)  先ず同日午後五時四〇分頃、都内目黒区△△△丘×××番地会社員○田○正方居宅に至り、A・Aは車中に残つて見張役をつとめ、Y・N、Y・Hの両名はそれぞれハンカチ(証四号)及び前記ストッキングで覆面したうえ、各前記のピストル及びナイフを所持し、呼鈴に応じて出てきた同人妻○子(四七歳)及び同人次男の早大生○也(一九歳)に対し、兇器を示しながら「俺達はいま練鑑から出てきたばかりだ、金が要るから早く出せ」等と脅迫してその抵抗を抑圧し、因つて同人から現金二一五円を強取し、

(2)  次いで同日午後六時一〇分頃、同区○町×××番地会社員○山○夫方居宅に至り、前同様A・Aは車中に残り、Y・N、Y・Hは覆面のうえ各ピストル及びナイフを所持し、呼鈴に応じて出てきた同人妻△子(三八歳)に対し、或いは紙火薬装填の上記ピストルを発射し或いはナイフを示しながら前同様の脅迫言辞を弄してその抵抗を抑圧し、因つて同人から現金八〇〇円在中の財布一個を強取し、

(3)  同日午後六時三〇分頃、同区△△町×××番地先路上にさしかかつた際、同所に婦人一名が佇立しているのを見て車を止め、A・A及びY・Nが車中に残り、Y・Hが覆面のうえナイフを持つて同女(○木□子 二五歳、バーホステス)に近附き、いきなりナイフを示しながら同女を附近のアパート○○荘庭内に連れ込み前同様の脅迫言辞を弄してその抵抗を抑圧したうえ、その場で同人から現金一、〇〇〇円を強取し、

(3)  更に同日午後七時四〇分頃、都内新宿区○○町×番地先路上にさしかかつた際、同所を通行中の婦人一名を認めて車を止め、再び、A・A及びY・N車中に残り、Y・Hが覆面のうえナイフを持つて同女(○西×子 二九歳、和裁業)の後を追い、いきなり同女の襟首をつかんだうえナイフを示しながら前同様の脅迫言辞を弄してその抵抗を抑圧し、その場で同人から現金二、〇〇〇円及び寿司折一個(一五〇円相当)を強取し、

(5)  次いで同日午後八時四五分頃、都内千代田区○○町×番地□□大応用化学会会長○付○英方居宅に至り、A・Aは車中に残り、Y・N、Y・Hは覆面のうえ各ピストル及びナイフを所持し、呼鈴に応じて出てきた同人次男の無職○文(四〇歳)に対し、兇器を示して脅迫し金品を強取しようとしたが、同人及び家人に騒がれてその目的を遂げず、

(6)  更に同日午後九時頃、都内港区○○○町×丁目××番地に至り、前同様A・Aは車内に残り、Y・N、Y・Hは覆面のうえ各ピストル及びナイフを所持して同番地所在の○○マンション二階二〇五号室会社員○西○郎方に赴き、呼鈴に応じて出てきた同人妻○○子(三五歳)及び同室内において上記○西○郎(四七歳)に対し、いずれも兇器を示しながら「静かにしろ、金を出せ」等と脅迫してその抵抗を抑圧し、因つて同人等から現金一〇、〇〇〇円及びライター一個(五、〇〇〇円相当)を強取した

ものである。

(適 条)

一の各行為………窃盗(刑法第二三五条、第六〇条)

二の各行為………強盗、なお(5)は同未遂(刑法第二三六条第一項、第六〇条、なお(5)につき同法第二四三条)

(処遇の前提となる事実)

1  少年達の生い立ち

(1)  Y・N少年は、昭和二二年七月八日京都市で生まれた。母Y・Q江(現在三八歳)は、幼いときより養女にやられて苦労し、一六歳で芸伎に出、北京で機械商の○田○介の世話になつていたが、終戦後京都で再び同人の世話になり、そこで生まれたのが少年である。

母は、少年出産の直後上記○田と別れ、昭和二二年秋より新橋烏森の芸伎となり、少年は、都内大田区の祖母○川○ぶ方に引き取られ、そこで養育せられた。母は、昭和二九年、主に少年に対する教育的配慮から芸伎をやめて西銀座に小料理店「○○乃」をもつに至り、少年は、依然として祖母のもとから小学校に通つていたが、昭和三四年に至り、少年と母は同居するようになり、少年はやがて中学校を経て昭和三八年三月○○大○高に入学し、母は上記小料理店の経営を続けていた。

(2)  Y・H少年は、昭和二二年九月二二日東京都で生まれた。母S・T子(現在四三歳)は、小学校を終えると共に赤坂に入り、当時若手の芸伎であつた。父Y・K(現在五九歳)は、△△大学を出、当時○紡の経済顧問等をしていたが、妻が病弱であつた(その後死亡した)こともあつて赤坂に出入りするようになり、実母と知り合つて少年をもうけたものである。

少年は、母方において主に母の伯母○本○ミの手で育てられ、小学校から中学校へと進んだ。その間、母はその道一筋に生きて赤坂一流の芸伎といわれるようになり、又父は鎌倉市の助役などを経て、昭和三〇年より○○大の経済学部教授、同三二年よりは鎌倉市の市会議員をも兼ねるようになつた。

昭和三八年三月少年は○○大○高に入学し、又父母は、昭和三二年頃より関係がきれていたが、少年の高校進学に合わせて昭和三八年一月形だけの婚姻届をしたが、同年六月には離婚の届をしている。なお少年は、終始母方にいたが、時々は父のもとを訪れていた。

(3)  A・A少年は、昭和二二年六月一三日東京都で生まれた。母A・K子(通称A・K江(現在三九歳)は、幼時より新橋の芸者置屋に養女として預けられて芸伎となつていたが、当時雑誌「新生」の出版をしていた○山○助(偶々同姓)と知り合い、少年をもうけるに至つた(なお少年は、この間の事情を知らず、父は死亡したものと思い込んでいるので、処遇上注意を要する)。

母は、少年出産の直前上記A・Tと別れ、以後芸者置屋をも営むかたわら、西川流の名取として日本舞踊の面でも活躍している。少年は、主として母方伯母○部○ツ(現在四一歳)の手で育てられて小学校、中学校を終え、昭和三七年一二月母が埼玉県川口市にアパートを建築してからは、その管理人となつた伯母○ツと共に同アパートに居住し、そこから昭和三八年三月○○大○高に入学し、母は築地に居住し、時々川口のアパートに行くという生活をしていた。

(4)  以上の如く、少年達の生育歴・家庭環境は甚だ酷似している。それは、少年達の資質、行動傾向等にある共通した要素を与えると共に、三名の少年の集団性をより強固にする作用をも営んだものと思われる。

2  資質面

(1)  Y・N少年は、近視の外は健康、又知能はIQ九五で普通域にある。

性格・行動傾向は、後記の共通点をのぞけば、発散性と神経症的不安定性に特長があり、そのため行動はややもすると独断的・突進的になり易いが、その反面よくいえば、実行力と純粋性があり、三名のなかでは、危険性も高い代りに、更生の可能性も最も高い少年である。

(2)  Y・H少年は、慢性副鼻腔炎の外は健康、又知能はIQ一一四で良域に属する。

性格・行動傾向は、後記の共通点をのぞけば、即行性と支配欲に特長があり、そのため行動は軽卒となり又要領よく人の先頭にたとうとするところがあり、今後も多少の失敗はあるかも知れないが、よき指導者と生活の場が与えられれば、かえつてその特長をよい方面に発揮できるタイプのように思われる。

(3)  A・A少年は、近視の外は健康、又知能はIQ一一〇で良域に属する。

性格・行動傾向は、後記の共通点をのぞけば、幼児性・非自主性に特長があり、よくいえば温厚で素直であるが、わるくいえば幼児的なわがままがあり又容易に人にひきずられ易い。今後も恐らく可もなく不可もなく、なんとなくグズグズした人生を送る可能性が強い。

(4)  以上のように性格・行動傾向において、各人それぞれの特色はあるが、三名に共通しているのは一言でいつて外向型ということであろう。それは現代のテイーン・エイジャー一般の特長かも知れないが、本少年達も亦、少くとも本件犯行をひき起すまでの状態としては多分にこの傾向を有していたものであり、したがつて精神面において非内面的となり、又行動面において非規範的・非客観的色彩を帯びた唐突で浅すべりな行動が多かつた。それはひとつには、少年達の育つてきた前記のような境遇(結果的放任や物質的豊富など)のしからしめるところも大きかつたように見受けられる。

そしてこのように、単に年齢・境遇のみならず、健康・知能・性格・行動傾向等に共通性の多いことはこの三名の集団性をより一層強めたと認められるが、なおちなみにこの集団内での各自の持味を、譬えをかりて一言でいうならば、Y・Nは刀創・槍創そのままの武将型、Y・Hはいわば采配を振る智将ないし謀将型、A・Aは日和見的で結局は大勢に引きずられる型の若侍というようにいえよう(それは、本件犯行の遂行過程における各人の役割にもよくあらわれているようである)。

1  環境面

(1)  家庭

家族関係は、上述のとおりであるが、なお附加するに、Y・N少年は母及び祖母と同居しているが、他に母方叔父の○井○一(三二歳、会社員)が埼玉県に居住しており、母と共に少年の指導にあたる熱意を示しており、少年もこの叔父を慕つている。なお住居地(新宿区○○町)の環境は、特にわるくはないが新宿の繁華街には近い。

Y・H少年は、母及び母の伯母と同居していたが、他方鎌倉に住む父のところには、異母兄○(二四歳、慶大生)や異母姉○子(二一歳、洋裁学校生徒)などが同居しており、この兄姉も少年のことを心配しており、又少年もこの兄姉を慕つている。なお、母方住居はいわゆる赤坂の中心地にあつて少年のためによい環境ではない、父方住居は鎌倉市内の閑静な住宅地である。

A・A少年は、伯母と同居し、時々築地にいる母と会つていた訳であるが、川口のアパートの環境には別に問題がない。

以上三名の少年達の家庭は、いずれも特殊な家庭であるが、親子間の心的交流はおおむね良好であり、又各保護者、殊に母親は、いずれもその職業の性質上物心とも配慮の至らざるところはあつたものの(たとえば結果的放任とか物質的甘さなど)、人柄自体はしつかりしていて、その意味では(少年事件における保護者一般の)水準以上の保護の熱意や能力を認めることができるものである。

(2)  学校

学校は○○大○高であつたが、本件に関連して特に述べる点はない(なお、少年達は本件により退学処分となつた)。なお三名の成績は、Y・Hが中の上、Y・N、A・Aは下であつた。また、三名とも小・中学時より高校にかけ、いずれも家庭教師がついていた。

4  非行歴

三名とも、保護処分歴はもとより、警察の補導歴もない。又、不良集団との接触はもとより、不良交友という程の事実も存しない。しかし三名とも、何らの問題行動がなかつたという程良好ではなく、多少の問題はあつたようである。

(1)  Y・N少年は、中学三年生の頃よりピストル(但し玩具)に興味をもつたり、又その頃初交の経験をもつている。高校に入つてからは、除々に怠学を覚えて遊ぶようになり、喫煙や睡眠薬も始まつている。

(2)  Y・H少年は、中学二年の頃より喫煙を始め、高校に入つてからはY・N同様怠学を覚えて遊ぶようになり、睡眠薬や初交の経験をしている。

(3)  A・A少年は、高校に入つてY・H、次いでY・Nを知り、その頃から両少年と行動を共にして遊ぶようになつた。

(4)  なお、Y・H少年が母から前記乗用車を買つて貰つたのは昭和三三年の一一月であるが、総じて三名ともこの頃より行動が一層派手になつたようである。要するに本件前の少年達の状は、最近の世相にみられる一部の“イカレタ”或いは“イカレがかつた”青少年達のひとつの典型的な姿だといえよう。

5  本件前後の事情

(1)  本件前の事情

本件一及び二の各非行直前の少年達の状況は、さきに述べたとおりであつて、いずれも集団心理-それも本件少年達特有の強固な集団心理-のもとに、本件一の窃盗は、いわゆるイカス恰好をするために又はこれにからむ金銭欲のために容易に(いわばスイスイと)行つており、又本件二の連続強盗は、上記集団心理に、更に睡眠薬・ピストル・乗用車等の道具だてが加わり、いわば西部劇的なスリル感を求めてひとつの異常なムードのままに一気に遂行してしまつたもので、両非行ともいわゆる罪の意識を殆んどもたずに行われている点が特長的である。

(2)  本件非行

本件、殊に二の連続強盗の非行は、まことに悪質な行為である。しかし反面、上記(1)にみられるような少年達の主観的側面も無視することはできない。意識の幼さが結果の重大性を救うものではないが、しかし亦結果や外形を重んじすぎて主観的側面や行為の実体を軽視するのも妥当ではない。本件の法的評価にあたつては、すべからくその両面を総合して考えるべきものであろう。

なお、本件の物的被害は、一及び二の各非行を通じて僅少であり、その合計額は、一の窃盗において四万七、二〇〇円相当、二の強盗においては二万円に満たない一万九、四六〇円であることにも注意を払うべきである。

(3)  本件後の事情

少年達は、本件二の最後の犯行より約一時間半後の同日午後一〇時三〇分頃、ホテル「ニュー○○○」に立ち寄つたところを、非常警戒中の警察官に緊急逮捕せられた。

他方窃取した書籍及び強取した金品は殆んど全部被害者に還付され、又被害者の殆んどはその後少年達に対し寛大な処分を求める旨、少くともこれを宥恕する旨の意思を表示した(なお少年達の各保護者は、本件被害者宅を全部廻つて謝罪した)。

(4)  本件の反響

本件、殊に二の非行は、一夜のうちの連続強盗で、警視庁も非常警戒を行うという事態となり、しかも犯人が逮捕せられて、それが一六歳の補導歴もない高校生の集団強盗事件と判つたため、翌日の各新聞等に大きく報道され、近時の少年非行問題のすう勢ともからみ、以後、最近の少年非行の典型的なケースとして種々の論議の対象とされるに至つた。

そして検察庁は、捜査を遂げた末、主として実行行為を担当したY・N、Y・Hの両少年につき刑事処分相当の、又主として見張役を担当したA・A少年につき保護観察相当の各意見をつけ、且つ異例の次席検事談話を発表し、上記意見を付したことを公表して、事件を当庁に送致するに至つた(なお警察の処遇意見は、いずれも刑事処分相当というものであつた)。

(当庁受理後の経緯)

1  中間処分までの経緯

(1)  当裁判所は、事件受理後直ちに少年達を鑑別所に収容して心身の精密鑑別を依頼するとともに、本多淑子(総括)、白井昭(Y・N担当)、深谷浩(Y・H担当)、阿部謙一(A・A担当)の各調査官が調査にあたり、その結果、鑑別所からは三名とも専門家の指導を条件とする在宅保護が相当であるとの意見が提出され、又調査官からは、Y・N、A・A両少年については在宅試験観察、Y・H少年については補導委託による試験観察が相当であるとの各意見が提出せられた。

(2)  当裁判所は、事件記録、上記鑑別及び調査の結果、並びに二回にわたる審判の結果を総合し、昭和三九年三月一六日、少年達をいずれも補導委託による試験観察に対する旨の中間処分を決定した。その趣旨は、次のとおりである。

先ず、直ちに刑事処分に付さなかつたのは、(イ)本件非行は、まことに悪質ではあるが、少年達の主観的側面や被害の状況等に照らし、これを著しく正義に反するものと即断できないこと、(ロ)少年達には一応いわゆる保護適格が認められること、(ハ)少年達の年齢が、刑事責任を実際に負う最低の一六歳であること等によるものである。

次に、直ちに保護処分に付さなかつたのは、そもそも未だ刑事処分に付する可能性があるから当然のことであるが、それとともに当時判明している事実だけでは、如何なる種類の保護処分に付するかを未だ決し難かつたからである。

そこで、いま暫らく少年や保護者を調査官の助言観察のもとにおき、その間における少年達の反省の態度や非行性・要保護性等の状況をくわしくみたうえ最終の処分を決するのが相当であるが、それについては、すでに判明している少年達の資質・環境や本件非行の内容その他を考慮するときは、少年達を直ちに家庭に戻さず、三名とも当分の間それぞれの個性に応じた民間施設に身柄ごと補導を委託し、他方その間保護者等をして家庭その他の環境の調整にあたらしめる「補導委託による試験観察」の方法をとるのが最も相当であると考えた次第である。

2  中間処分以後の経緯

(1)  補導委託による試験観察の経過

(イ) Y・N少年は、茨城県土浦市所在の大野葡萄園こと大野清男方に委託した。同所は、土浦市郊外の住宅地のはずれにあり、葡萄をはじめとする各種果樹の栽培と農耕作業を主体とする肉体訓練、及び適度に折衷せられた家庭的雰囲気と団体生活を通じての精神訓練を図り、その反応をみたが、本少年は、その資質のよい面を発揮し、飾らず怠けず、苦しみ悩みながらも、一歩一歩反省と向上の実をあげ、多くの尊いものを体得していつたようである。

(ロ) Y・H少年は、東京都青梅市所在の洗心園こと大原二三方に委託した。同所は、青梅市今井の自然の中に存する林間学校風の施設であり、農耕・園芸その他の肉体訓練と約三〇名近くの少年達の集団生活を通じての精神訓練等を図り、その反応をみたが、本少年も亦本少年なりの努力を続け、自重の態度とともに忍耐、辛棒というものの尊さを身をもつて知り始めたのであるが、しかし反面生来の欠点(軽卒さや要領性)を押さえきれず、それをあらわすようなこと(例えば面会にきた母から煙草を入手したこと等)が二、三あつた点は、なお注意を要するところであろう。

(ハ) A・A少年は、千葉県市原市所在の立野園芸研修所こと立野浩一方に委託した。同所は、旧五井町の農村地帯にあり、主に園芸をとおしての肉体訓練と立野夫妻及び五・六人の少年が同一家屋に起居する家庭的雰囲気をとおしての精神陶冶を図り、その反応をみたが、本少年は、ここではおおむねそのよい面を発揮し、一応大過なく過ごし、たとえば同所において自己より物心ともに恵まれぬ少年のいること、しかしその少年達がそれにもかかわらず努力していること等を知つて自ら反省の資にする等のことがあつた。

(ニ) 他方、少年達の各保護者等も真剣な態度を持し、自らに対する反省、少年達への面会その他による激励、今後の方針樹立への努力、裁判所(調査官)への密接な連絡など、その熱意と努力は充分認めてよいと考える。

(ホ) 以上のような訳で、補導委託先の適切な補導、少年及び保護者等の反省と努力などにより一応補導委託による試験観察の目的を達し、それに伴う各種の資料(観察の結果)が得られたが、なお三少年とも資質・環境等に若干の問題があり、又本件非行の悪質性に照らしても慎重に少年達の反省や要保護性の程度等を見究める必要があつたので、更に、少年達を家庭に戻し、いわば自由な社会の中で調査官の助言と観察を続けることとし、A・A少年については昭和三九年六月二六日(委託後三ヵ月余)、Y・N、Y・H両少年については同年七月一三日(同約四ヵ月)、それぞれ在宅試験観察に切り替えて、少年達を家庭に戻したのである。

(2)  在宅試験観察の経過

(イ) Y・N少年は、以前と同じく新宿区○○町のアパートに戻り、再び母及び祖母と同居するに至つた。同少年は、爾来○○学館と○○学院に学んで勉学を続けており、○○大系の○○丘高校(一年)に三学期より通学する予定である。人間的にも客観性と安定性を高めており、目下のところは虞犯的行動はもとより、以前のようなうわついたところも見られないが、元来やや極端から極端に走る傾向を有しているのでその点注意が肝要であろう。

母は、できる限り早く帰宅するようにつとめ、従来やや甘かつた祖母も、その点を反省して少年に接している。なお母は、現在の西銀座の小料理店を処分し、山の手の住宅街に食堂でも経営して少年の保護体制を固めようとしている。

(ロ) Y・H少年の場合は、やや複雑である。父母いずれのもとに戻るか、又そもそも父母の間を如何にするかは補導委託中の懸案であつたが、結局、母に父に対する愛情がなく、又母の住居地(赤坂)の環境のよくないことやそこに居て本件の起きたこと等を考慮し、少年は父のもとに行き、そこで少くとも高校を終えるまで頑張ること、その間時々母のところに行くのはよいが無断で行かないこと、小遣の収支等は父の管理に従うこと等の方針がきまり、少年は洗心園から鎌倉に戻り、父及び異母兄姉と生活することになつた。ところが少年は、間もなく上記の方針に反し、母のもとに戻りたがつたので若干のトラブルを起したが、結局少年としては、意志の強さ・忍耐力や他人との協調性が大事であること、母のところは環境がよくないこと、後述の△△高校には「父のもとから通学すること」が条件になつていること等を反省し、当初の方針どおり少くとも高校を終えるまでは父のところで頑張ることをあらためて決意するに至り、又父母としては、少年のその決意が達成できるよう、父母としても言動や心構えを反省し、共に協力して努力する決意を固め、問題は一応安定するに至つた(今後も、著しい無理の起きない限りこの方針で進むべきであろう)。

ところで同少年は、上述のように父のもとに戻つてから、鎌倉の教習塾で勉強の後、九月から父の世話で○○大系の△△高校(□□高校ともいう。その一年)に通学している。人間的にやや落ちつきを得てきたし、少くとも虞犯的行動やイカレタような浮薄さは目下のところみられなくなつているが、上述したところにもみられるように生来の軽卒な要領のよさが仲々押さえきれず、今後も軽はずみに突拍子もない行動に出る可能性があるので注意が必要である。

(ハ) A・A少年は、以前と同じく川口市のアパートに戻り、再び伯母○部○ツと同居し時々母と会うという生活に戻つたが、同少年は自宅に帰つてからは生来の欠点(幼児性や非自主性など)が又出始めて、暫らくは家でブラブラして無為又は怠惰な日を送つていたが(但し虞犯的行動があつた訳ではない)、やがて新聞配達を始めたり○○塾に通つて勉強を始めるようになり、九月からは川口市立の××高校の定時制(一年)に通学している。幼児的なわがまま・甘さ、非自主的な消極性・弱さ、そして表面的に華美なものを求め、苦労せずして楽を得ようとする傾向など性格的に問題の多い少年であり、又母と同居できぬ点にも問題があるが、一面において温厚で素直な良さもあり、又万事消極的な点からみて、今後交友関係を含めた環境面に注意すれば、再非行に陥る危険性は余り高くないと考えられる。

なお伯母は、母と連絡をとりながら少年の指導に腐心しており、又母は、従前よりも度々川口のアパートに行つて泊るようにしたりして、夫々の努力は続けている。

(ニ) 以上のとおりであつて、この在宅試験観察は約二ヵ月半から三ヵ月間行われたが、その間、少年・保護者ともにそれぞれ各人なりの反省と努力をすると共に、裁判所からみて各人のもつ問題点も一通りは判明し、これらを考慮に入れて最終の処分をなし得る段階に達したところ、調査官から提出された最終の処遇意見は、Y・N、Y・H両少年については保護観察相当、A・A少年については不処分相当というものであつた。

(処遇理由の一…刑事処分の問題)

一般に、非行少年に対する処遇内容の決定にあたつては、少年法における保護法的機能と刑事法的機能の両面に着目しつつ、先ずその処理方針を定めるべきであるが、これを一応形式的にわければ、先ず非行事実の法的確定の後、(1)普通には、先ずいわゆる要保護性の点を判断し、そこで保護不適とせられた者に対し、初めて、犯した罪の罪質・罪状や年齢等を考慮して刑事処分の採否を決定すべきであるが、(2)犯した罪が著しく正義に反していると認められるときは、その年齢とか要保護性等に囚われすぎることなく、これを刑事処分に付すべきものであり、(3)犯した罪が「著しく」正義に反したと認むべきか否か微妙なケースについては、その罪質・罪状の外、少年の年齢と要保護性(非行性、更生可能性の程度・内容など)等についても慎重に考慮し、これを総合判断して刑事処分に付するか否かを決すべきものと考える。ところで本件は、上記(2)又は(3)の場合に該当すると思われるので、以下、上記(2)及び(3)において述べたような考察順序で各問題点について考えてみたい。

1  問題点

(1)  本件非行

本件非行、殊に二のそれは、まことに悪質危険であり、且つ被害者のみならず、社会人心に与えた影響も大きい。

しかし、先ず少年達の主観的側面をみてみると、上述したように、一の窃盗については、いわゆる利得犯としての財産犯的性格は薄く、むしろ一種の流行的虚栄的ムードとスリル感が中心となつての行為であり、したがつて、この非行を軽視することはできないが、しかし盗癖とか(窃盗の)再非行性とは程遠く、一過性の非行であると認められる。

又、二の非行についても、結果的外形的側面を別にすれば、いわゆる「強盗」というような兇悪犯的要素に乏しく、その動機・精神状態・犯行の手口・容態等に照らすと、それは、軽佻浮薄な風潮に多分に染まつていた三名の少年達が、睡眠薬・玩具のピストル・乗用車等という道具だてに酔い、集団(しかも上述のように特に一体性の強い集団)という特殊な心理状態に押され、一種異常な無統御的ムードの集団と化し、いわば西部劇的なスリルを求める心的状態のまま一気に押し流されて行つたものとみるのが正しいと考える(したがつて、その本質を「遊び」とみる観方、或いは本件を評してベビー・ギャング的行為という表現などは、司法的見地からはともかく、一応本件の実体をとらえたものといえよう)。

次に上述したように、本件の被害は、額においても僅少であり、しかもその被害は殆んど全部回復せられており、又被害者の殆んどが寛大な処分を求め又は宥恕していること、及び上述の経過に明らかなように、少年・保護者ともに真剣に反省し、且つ保護者は被害者全員のもとをたずねて謝罪していること等の事実も考慮すべきである。

以上の諸点に照らすときは、本件行為は、まことに悪質ではあるが、しかし未だこれをもつて「著しく」正義に反するものとまではいえないものと考える。したがつて、他の諸事情を考慮することなく本件犯行のみをもつて少年達を刑事処分に付するという途を採らず、本件犯行の外、少年達の年齢・要保護性等の諸事情をも併せ考慮したうえ、刑事処分の採否を決定すべきだと考える。

(2)  年齢

本件犯行当時、少年達はいずれも満一六歳であつた。勿論、一六歳以上の者は現実にも刑事責任を負う能力があるし、又一六歳だからといつてこれを甘やかすようなことは禁物であるが、しかし又、一六歳の者が一般的に心身とも未熟であることもいうまでもなく、従つて法が現実に刑事責任を負う年齢の最低を一六歳としたこと、及び従前の少年事件の取扱において一六歳の少年を刑事処分に付することは極めて異例であつたことの二点は、矢張り本件を処理するに当つても充分に考慮しなければならないところであろう。

(3)  要保護性

この点については、上来述べてきたところから自ら明らかと思われるが、要するに、少年達の生育歴・資質・環境・非行歴や本件非行の主観的側面、その後の少年達や保護者の状態、殊に試験観察(補導委託及び在宅)の経過等に徴するときは、少年達の非行性(犯罪的危険性)は、元来余り高くなかつたうえ、現在はそれも殆んど除去せられ、資質・環境等になお若干の問題があるとはいえ、更生の可能性も充分に存するものというべく、したがつて、いわゆる要保護性は総じて微弱であるといつて差支えないと考える。

(4)  以上(1)ないし(3)の諸点を総合すれば、本件は、「その罪質及び情状に照して刑事処分を相当」とする場合には該らないといえよう。しかし刑事処分の採否を終局的に決するにあたつては、なおいわゆる一般予防の問題をも考えるべきであろう。

確かに、近時の少年非行のすう勢はまことに憂うべきものがある。そして本件は、正しく近時の少年非行の諸特長、たとえば、低年齢化、集団化、粗暴化、学生非行の増加、そして物質的に恵まれ且つ平素の行状もさまでわるくもない少年達のムード的な暴発的非行等といつた諸特長を具えている。しかも、少年法も広く刑事司法の一環に属する以上、少年処遇の個別化という意味での刑事政策的機能のみでなく、一般予防ないし社会防衛的立場でのそれをも亦少年法なりに有するものというべきである。そうしてみると、本件の如きケースの処理にあたつては、或いは近時の少年非行の性格・特長の変遷に即応する新しい角度の少年刑事責任論という立場から、或いはいわゆる一罰百戒的な警告的立場から、これを刑事処分に付することによつて、終局的には社会防衛の目的を達しようとする考え方も生じ得よう。

当裁判所も亦そのことを考えない訳ではない。しかし本件に関する限り、上述したように、本件非行を著しく正義に反したものと断定できず、又その年齢・要保護性の点等をも考慮するときは、一罰百戒的にこれを刑事処分に付することは、上述少年法のもつ一般予防的機能の濫用ないしはその逸脱となつて採り得ないところである。勿論本件の処理にあたつては、たとえ刑事処分には付さなくても、その取扱上そのような一般予防的配慮も必要である(たとえば上述した補導委託や在宅による試験観察の実施には、そのような配慮がない訳ではない)、それはケースの処理に伴い許され得る或いは為し得る範囲内で為すべきであつて、それ以上の措置、即ち近時の増加・悪質化・ムード化する少年非行への予防的・防衛的措置は、本件の処理とは一応別箇に考えるべきものであろうと思う。

2  結論

以上により、結局当裁判所としては、本件少年達を刑事処分に付さないことに決したのであるが、なお附言するに、これはあくまで、本件少年達の要保護性が薄かつたこと(平素の行状がさまでわるくなかつたこと、少年や保護者等がよく反省や努力をしたこと等)が主たる原因となつたのであつて、そうでない限りは、たとえ年齢が一六歳であつても、本件と同種の非行があれば刑事処分となる可能性が甚だ高いであろうことをつけ加えておきたいと思うのである。

(処遇理由の二…保護処分の採用)

1  本件については、刑事処分の意見がある観点に重点がかかりすぎていると思われるのと同じく、保護処分の必要もないという意見も反対の観点に偏よりすぎた観方だと思われる。

少年達に、本件の如き悪質な事犯の責任をきびしく自覚させ徹底した反省をなさしめるためにも、又少年や保護者達にそれぞれ存する資質上・環境上の諸問題について適切なケース・ワークがなされるためにも、本件については何らかの保護的(即ち更生的・教育的)措置は是非必要である。

2  その種類としては、現行法上の措置として、少年院送致と保護観察の二種が考えられる。

しかし、上来述べてきた少年達の非行性の程度や資質・環境その他の状況を考えるときは、少年院は、適切ではない。なお少年達三名は、これを別異に扱う特段の理由も認められないので、結局本件少年達に対しは、いずれもこれを保護観察に付し、今後相当期間、各住居地を管轄する東京(Y・N)、横浜(Y・H)、浦和(A・A)の各保護観察所の観察官及び保護司の手によつて、適切な指導監督・補導援護が実施され、それをとおし少年達をして反省と更生の道を歩ませるのが相当である。

(むすび)

以上のような次第であるから、少年法第二四条第一項第一号、少年審判規則第三七条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 小谷卓男)

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